さちこの部屋(143)
「母、Y子」〜その8〜
前回は話しが重たくなってしまったので、最新の母Y子の笑っちゃった小話をひとつ。
少し前に母は鏡の概念がわからなくなってしまった(母は鏡に映る自分を自分だと認識できない。目の前に他者がいると思って話しかけてしまう。)と書いたが、つい先日姉から聞いた最新の話しによると、鏡に映る自分を見て、「この人、可愛い〜♡」とつぶやいていたそうな。
え?
ちょっと前までは鏡に映る自分を見て、「こんなしわくちゃなの私じゃない…おかしい…。」とか言ってたのに?(この頃はまだ鏡の概念はわかっていたらしい。)
その頃から特に可愛さや美人度が増したわけではないのにどうしたことか笑
若かりし頃の母は、女優ばりに美しい人だった。
私は父にそっくりで、母に似ればもっと違う人生があったのに…と若い頃は何度も思ったものだ。
だって絶対に若い頃は美人の方が得なことが多いから。
姉と兄は母によく似ていて、幼い頃は街を歩いているとスカウトされたりしていた。
そんな姉と兄に囲まれて育った私は、物心がついた頃から、何故姉や兄と違って私だけチンチクリンなんだろうと20代中頃まで自分の顔にコンプレックスを抱いていたものだ。
でも、子どもが産まれてからはそんなことはどうでもよくなり、また、母に似て美人に生まれついた姉は姉でいろんな悩みやコンプレックスを抱えていることを知り、美人は得だけれど、生きていく上でそれはそんなに重要なことではないと気がついたのだ。
昔、母が私に「歳をとるってことは、汚くなっていくものなのよ。」と言っていたことがある。
誰でも歳をとれば、シミやシワ、白髪が出るし、ハゲてきたりお腹が出たりは当然のことだものね。
認知症の初期には身の回りのことに気遣いをしなくなることがあるらしい。
認知症じゃなくても、もう歳だからいっかーと自分にかまわなくなる方もいるだろうが。
母はお風呂に入っても自分で身体をきれいに洗うということができなくなり、だんだん臭いも周囲に不快感を与えるようになってきたので、それからは姉が入浴介助をし、現在は不潔感はなくなった。
今の母は鏡を見ても自分だと認識できないし、洋服の着方もわからない状態なので(真夏に冬用のニットを重ね着したり、ブラジャーを前と後ろに2つ着けたり。)自分で清潔感を保つのはもう無理だ。
どんなに若い頃に美しかったとしても、人は皆老いる。
認知症や他の病気で誰かに身の回りの世話をしてもらわなければならない場合は仕方ないけれど、そうでなければ、歳を重ねてからは周囲に不快感を与えないよう自分で小綺麗にし、清潔感を保つことが大事だと思う。
しわくちゃになってからでは美人かそうでないかはあまり関係ないし。
清潔感を保ち、背すじをシャキッと伸ばして、笑顔で人生を闊歩している老後を送りたい。
その為にはやはり運動だ。
健やかな身体がなければ自分の身の回りのこともできなくなるし、心からの笑顔にもなれなくなるだろう。
まあ、それでも出来る限りゆーっくり、緩やかに老いていきたいし、少しでも若くいたいというのが女心だけど。
その点、母はもう自分のシミやシワが目に入らず、自分だと認識できていないものの「可愛い〜♡」と思えるのだから、ある意味幸せなのかもしれない。
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