さちこの部屋(132)

「母、Y子」〜その3〜


 母は認知症になってから、時おり子供返りするようになった。

 母の故郷は山形なのだが、「お母さんに会いたい。」「お家に帰りたい。」と言い出して山形に帰りたがる。

 姉が「ババ(孫が産まれてからは母はババと呼ばれている。)のお家はここでしょ?おばあちゃん(母の母。)はもうとっくに亡くなっちゃったでしょ?💦」となだめると、理解はできないがしゅんとなって帰るのを諦めてくれるらしい。

 母だって鏡を見る機会はあるだろうが、脳内の自分の年齢と鏡に映る自分の顔のギャップに何も感じられなくなってしまったようだ。

 そうでなければ、とうに亡くなった自分の母親と同世代になっている自分のしわくちゃの顔を見れば一目瞭然のはずなのだから。

 昨年、私が姉の代わりにデイサービスのバスで帰宅する母をお出迎えした時のこと、バスから降りる際に職員の方が「◯◯さん(名字)、ここの手すりにつかまって!」と、大きな声で何度も促してくれたのだが、母は全く気がつかない。

 耳がだいぶ遠くなっているのかとその時は思ったのだが、その後母を歯医者さんに連れて行きながらあれこれ雑談をしてみると、普通の声のボリュームでちゃんと聞こえている。

 そこで「自分のお名前わかる?」と訊いてみたら、「Y子。」と言う。

 「名字は?何Y子さんなの?」ともう一度訊くと、自分の名字が思い出せない。

 あー。

 だから、さっき職員の方に大声で名前を連呼されても気がつかないわけだ。

 だって、自分の名字だと認識していないのだから。

 母は私たち子どものことも孫たちのことも覚えていないが、父のことだけは自分の連れ合いだとわかっている。

 父と母は中学の同級生なのだが、母は父が出かけていると「どこに行ってるのかしら?」と認知症になった今でもヤキモチ焼いたりするらしい。

 私が想像するに、母は私たちの「母」でもなく、孫たちの「祖母」でもなく、名字もなく、ただただ「Y子」というひとりの少女になったのだ。

 そしてきっと10代の頃の気持ちに戻って、父に恋をしているのではないだろうか。

 えー…。

 散々苦労をかけられて、あんなに泣かされてきたのに?(詳細は省くが、絶対に自分の結婚相手にはしたくない、けっこう酷いダンナだった。歳を重ねて今はだいぶ穏やかになったが。)

 そんなにジジ(父の呼び名。)のこと愛してたのかー…。

 少女になったY子ちゃんは話し方も可愛らしい。

 歯医者さんの後、「お腹すいてるんじゃない?スーパーでお弁当でも買って帰ろうか?」と訊くと、「うん…。お腹すいてるの。でも私お金持ってないの…。」としょぼんとして答えるY子ちゃん。

 「いいよいいよ!私がおごってあげるから、出世払いで返してくれればいいよ笑」と言うと、Y子ちゃんツボったらしく涙を流して大笑い。

 まだ冗談は通じるらしい。

 久しぶりに母が爆笑する姿を見られて、とても嬉しかった晩秋の出来事。

 来週に続く。

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